クラブ発足〜現在

 1971年、車好きな鼻の下の長い6人が、共立女子大学のラリーにエントリーしたのがそもそもの始まりである。 
 当時、トップラリースト11人が集まった「グループ11」という強豪クラブがあり、彼ら6人もこれにあやかり「GROUP6」というクラブ名にしようとしたが、一人前以下が6人?ーなのか、うち1人が四分の一人前なのか・・?ということで、“5と4分の1”FIVE&GUARTERにしたという。
 口の悪い連中からは“ろくでなし”とも呼ばれている。この中には「根本純、浪江豊一、明石知幸」など往年のラリーストがおり、後に小田切順之も参加し、1974年にJAF準加盟クラブに登録し、1979年に加盟クラブに昇格した。
 FQRCのポリシーは「ラリーは趣味ではなくスポーツであること、同好会ではなくスポーツクラブであるから、当然勝たなければならない。そのためには、苦しみも我慢もあり、かつエンジョイしなくてはいけない。」ということだったが、現在は酒飲みクラブになってしまった。
 その後、根本純はパリ〜ダカールラリーに毎年参戦する常連となり、いまや環境問題に取組む文京区議会議員になった。小田切順之はアドバンラリーチームで毎年チャンピオン争いをするトップナビゲーターになった。
 このどちらかが、四分の一人前だったのでは?という疑問は、関係者が固く口を閉ざしているので永遠の謎である。
 その後クラブはエントラントクラブとして、日本各地でクラブ員が活躍したが、1980年代後半からは、若手育成のためのラリー競技会主催に活動の中心を移し、毎年栃木県日光市でラリーを開催している。
 現在はJMRC関東イーストラリーツアーラリーとJMRC関東チャレンジカップラリーツアーを開催している。

                               (取材協力 Driver、プレイドライブ)